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知らなかった言葉「ア・プリオリ」 [言葉、日本語]

日本語じゃないけど。

第1章では、聖アンセルムスによる神の存在証明について『プロスロギオン』(Proslogion)第2章から第4章に基づき、聖アンセルムスが如何ににして神の存在証明をなくしたのかを可及的明らかにすることにより、ア・プリオリな神の存在証明について少しく理解し得た。

むむ、たったワンセンテンセンスなのに、いくつもわからん言葉があるじゃないか。

ってことで、調べる。

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・聖アンセルムス
カンタベリーのアンセルムス(Anselmus Cantuariensis, 1033年 -1109年4月21日)は、
中世ヨーロッパの神学者、哲学者で、1093年から亡くなるまでカンタベリー大司教の座にあった。
カトリック教会で聖人。
アンセルムスは、初めて理性的、学術的に神を把握しようと努めた人であり、それゆえに、
彼をはじめとして興隆する中世の学術形態「スコラ学の父」と呼ばれる。
神の本体論的(存在論的)存在証明でも有名。

・アンセルムスの思想
アンセルムスがスコラ学の父と呼ばれる所以は、すでに処女作『モノロギオン』に見て取れる。
独白を意味するこの論文で、彼は神の存在と特性を理性によって捉えようとした。
それは、それまでの迷信にも似た、キリスト教の威光を持って神を論ずるものとは一線を画した。

もうひとつの主要論文『プロスロギオン』は、構想当初、「理解を求める信仰」と題されていたが、
これは彼の神学者、スコラ学者としての姿勢を特徴づけるものとしてしばしば言及される。
この立場は通常、理解できることや論証できることのみを信じる立場ではなく、
また、信じることのみで足りるとする立場でもなく、信じているが故により深い理解を求める姿勢、
あるいはより深く理解するために信じる姿勢であると解される。

神の存在証明は、『プロスロギオン』の第2章を中心に展開されたもので、おおよそ以下のような形をとる。

1.神はそれ以上大きなものがないような存在である。
2.一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。
3.もし、そのようなものが人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上
  大きなものがない」という定義に反する。
4.そこで神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。
  この証明は、のちにイマヌエル・カントによって存在論的な神の存在証明と呼ばれ、ルネ・デカルトなど、
  中世以降の哲学者に大きな影響を与えたと言われる。
  (歴史上、神学者や哲学者によって、神の存在証明は多くの側面から検討された。)
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※カンタベリー (Canterbury)
イギリスのイングランド南東部・ケント州東部に位置する都市。中世から代表的な巡礼地として栄えた。
青銅器や新石器時代の遺跡が発見されており、それらの時代から人が定住していた証拠がある。
ケルト人の首都がこの地にあった。
ローマ軍占領後、この町はラテン語でDurovernum Cantiacorumと呼ばれ、城塞が設けられた。
5世紀中ごろ、アングロ・サクソン人がこの地を制圧した。6世紀ごろからグレート・ブリテン島(ブリタニア)
にアングロ・サクソンの諸王国が建設される。

597年、教皇グレゴリウス1世の命を受けて、修道士アウグスティヌス(のちのカンタベリーの
アウグスティヌス)を中心として、修道士団がブリタニア布教に赴く。ケント王国(今のケント州)の王、
エセルバートは、彼らを好意的に迎え入れ、布教に助力したことから、ここがブリタニア布教の拠点に
なっていく。

601年、修道士アウグスティヌスが初代カンタベリー大司教に就任。以来、カンタベリーはイングランドの
キリスト教の中心地になる。その後、ノルマン・コンクエストなど、イングランドの波乱の歴史の中にあっても、
カンタベリーは大司教の座のある町として権威を高めていく。

ケント大学、カンタベリー・クライスト・チャーチ大学やチョーサー・カレッジなどの教育機関があり、
多くの学生が学んでいる。また、世界最古の現役の学校の1つと評されるキングズ・スクールが
カンタベリー大聖堂に隣接している。
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・ア・プリオリ(アプリオリ)
経験的認識に先立つ、先天的・自明的な認識や概念。カントおよび新カント学派の用法。
ラテン語のa prioriに由来する。

※概要
カントによれば、時間と空間はアプリオリな概念である。なぜなら、このふたつはあらゆる認識に先だって
認識されている概念だからである。
なお、この二つは自然に想像される時間、空間ではなく形式的である。太陽が地球を回っているように
「感じられる」としても、そうではないという援用をカントもしていることから、ある新しい構成のために、
それらは純粋直観に与えられる、という比喩表現を許されたい。
この空間は、物理直観に先立つ=(アプリオリ)な空間である。純粋直観が不可能であれば、
ヒューム的懐疑に陥るという概念にも留意されたい。

(……いや、キリないな、これ……笑)

※【援用】(えんよう)
[名](スル)
1. 自分の主張の助けとするため、他の意見・文献などを引用したり、事例を示したりすること。
「海外の論文を―する」
2 .法律で、ある事実を自己の利益のために主張すること。時効の援用、証拠の援用、抗弁の援用など。

※純粋直観
※ヒューム的懐疑

あとまわし。笑

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